1980年代より、13世紀の禅尼である無外如大禅尼(1223-1298)の頂相彫刻との出会いから、中世日本研究所の活動は「女性と仏教」というテーマで調査研究など活動をしてきました。鎌倉時代の高僧、無外如大禅尼が創建した景愛寺は、京都や鎌倉の禅の五山制度に相当する尼五山の頂点に位置する尼寺で、京都の尼門跡寺院には無外如大の残した美術品、肖像画、書状などが伝わっています。
1990年に入り、無外如大の研究を通して、景愛寺の法灯をつがれる花山院慈薫大聖寺門跡のご理解ご協力を得ることになり、京都奈良の尼門跡寺院の門戸が中世日本研究所に開かれることになりました。調査研究のお許しを得ることができた中世日本研究所は、以来、尼門跡寺院の文書や美術品の調査を行なって参りました。
調査を進めるうちに、所蔵品や建造物に修復の必要性が判明し、皇后陛下美智子様にもお気にかけていただき、1999年に故平山郁夫画伯をご紹介くださり、平山氏の設立された文化財保護・芸術研究助成財団による尼門跡寺院修復プロジェクトが発足し、それ以後、毎年、文化財の修復を行なっております。
公益財団法人 文化財保護・芸術研究助成財団 http://www.bunkazai.or.jp
主な修復プロジェクト:唐子遊戯図屏風(大聖寺)、仏涅槃図(曇華院)、
七草絵巻(法華寺)、東福門院十二単(霊鑑寺)、源氏物語図屏風(中宮寺)
宝鏡寺歴代尼僧肖像彫刻(眞如寺) 他
尼門跡寺院とは
尼門跡寺院とは、皇族・公家など高貴な女性の入寺によって営まれてきた独特な品格を持つ寺院です。
高貴な身分の女性が得度後に住持になった寺は、「比丘尼御所」と呼ばれるのが通例でしたが、1941年以降、「尼門跡」ないし「門跡尼寺」という名称が広く使われるようになりました。「門跡」というのは、宇田天皇(867-931,在位 887-897)が出家し京都の仁和寺に住むようになって以来、住持が皇族である寺院に対して使われるようになった呼称です。
「尼門跡」も、その住持が、歴史的にほぼずっと、皇族、貴族、将軍家の出身者であるという点で、通常の尼寺とは一線を画しています。(皇族、貴族、将軍家の階層の境界は、相互の婚姻や養子縁組等のためにはっきりしていません。)
尼門跡は、修行や仏教儀式を勤めるだけでなく、文学や、芸術の庇護および制作に自ら携わる場でもありました。尼門跡は、住居が一部は御所内から移築されたものであることを見ても分かるように、調度や道具類、室内の装飾は洗練され、住持たる女性たちは、王朝風な生活に付随するこうした高貴な文化を享受しました。尼門跡は、その設えにおいても文化においても、現世的なるものと仏教的なるものとの調和の取れた融合にその特色があると言ってよいかもしれません。
これらのお寺は皇室とのゆかりによる御所文化が育まれ、独特な宗教儀礼や信仰生活が形成されましたが、明治維新以降、神仏分離令により、皇女の出家が禁止されたことから、数世紀にわたる宗教的、文化的歴史を伝える寺院の数は減っていきましたが、今でも日本の古都、京都・奈良に尼門跡寺院は残っています。
WMFの協力
2002年、中世日本研究所は、ワールド・モニュメンツ・ファンド(WMF)と尼門跡寺院の建造物保存に関して協力関係を締結し、尼門跡寺院における建造物保存のための助成金を受けることになりました。
WMFはニューヨークに本拠を置く非営利団体で、歴史的重要性のある建造物や庭園等を保護・保存していくことを目的としています。WMFは設立以来50年近くにわたって、国や宗教、地理に関わることなく、世界中の文化遺産を保存助成対象としてきましたが、日本に目を向けられたのはごく最近のことで、尼門跡関連プロジェクトに注目して下さったことは大変名誉なことです。
2001年から2008年にかけ宝鏡寺、法華寺、霊鑑寺、中宮寺の修復に支援をいただきました。ワールド・モニュメント財団を通じ、フリーマン財団、ウィルソン財団、ティファニー財団はじめ、日本国内の多くの皆様のご支援により修復事業が行われました。
ワールド・モニュメント財団
(英文サイト)https://www.wmf.org